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現地周辺の街並み(イメージ)

shoto

護られる結界性と、息づく静謐。

東急百貨店とBunkamuraを抜け、一歩奥に入るだけで、
街の空気は邸宅地が支配するフォーマルなものへと一変する。
この気高き地に融合しながら、研ぎ澄まされた美学を貫いた
もう二度と出会えないかもしれない邸宅が生まれようとしている。
その奇跡を手にするときは、今。

鍋島松濤公園/徒歩4分(約300m)

a gleam of intelligence

東京大学駒場キャンパス/徒歩17分(約1,320m)

a feeling of refreshing tranquility

代々木公園陸上競技場/徒歩15分(約1,150m)

aesthetics of the place

戸栗美術館/徒歩6分(約480m)

日本近代文学館/徒歩11分(約880m)

大山町

徳川家の子孫の邸宅があったため、徳川山とも呼ばれる。松濤や南平台と同じく高台に位置。自然の静けさが漂う街。

上原

関東大震災で被害が少なかったことや、小田急線の開通を機に「徳川山」という名称で大山町と共に分譲。

神山町

代々木公園に隣接する緑豊かな住宅街。吉田茂首相の居地であったほか、外国大使館も数多く点在。

南平台町

安倍首相の祖父、岸信介元首相や三木武夫元首相など明治時代以降多くの政財界の要人が移り住んだ住宅街。

代官山町

元代官所の所有であったことが地名の由来。同潤会アパート、東急アパートメントなど、時代を代表する集合住宅が誕生し、変遷してきた歴史を持つハイセンスな街。

恵比寿

江戸時代には大名の下屋敷が点在。「恵比寿ガーデンプレイス」の誕生から、街の活性化が進み、大人のライフスタイルを楽しめる住宅地として羨望を集める。

江戸時代、紀州藩徳川家の下屋敷だった地。その後、この地を譲渡された
旧佐賀藩主鍋島家が茶の栽培を始め、松濤という名で売り出したことが地名の由来になっている。
時代が移り、その広大な敷地を生かし邸宅街が形成され高級邸宅街として発展。
時代を牽引してきた名士、識者たちが集う街ならではの成熟が、脈々と今に受け継がれている。

明暦3年~(1657年~)
商業活動が活発になるにつれ江戸の街が徐々に拡大。渋谷周辺でも広尾と宮益エリアの街並みが整う。 駒場の鷹狩場からほど近いこの松濤に、徳川御三家のひとつである紀州徳川家の下屋敷がつくられる。
明治9年(1876~)
徳川家から旧佐賀藩主の鍋島家に松濤の地が払下げられ、鍋島家は失業武士の救済目的で、「松濤園」という茶園の経営を開始。
明治18年(1886~)
渋谷駅が開設され、明治23年になると東海道線が開通。静岡茶の流通が始まったことから、茶園は廃業となり、茶畑は畑果樹園種蓄牧場 「鍋島農場」に変わる。
大正末期
松濤エリアの大部分を占めていた鍋島家の農場の分譲を開始。続々と当時の草原に大邸宅が櫛比するようになり、華族や事業家、政府の要職にある人たちを中心に、ひと区画が大きな邸宅街へと変貌する。
昭和3年(1928年)
当時の豊多摩郡渋谷町が字名町名地番の改正を実施し、大山、神山、大向の各部分を合わせ、松濤園にちなみ「松濤」という町名が誕生。
昭和7年(1932年)
渋谷区が誕生し、渋谷区松濤町となる。

松濤美術館/徒歩5分(約400m)

※掲載の写真は2018年5月撮影
※表示距離は現地からの地図上の概算です。徒歩分数は80m=1分、として算出し、端数は切り上げております。